磯部むかしばなし


 いそべむかしばなしより抜粋しております。


七本ザメの磯部参り


 「磯部伊雑宮は竜宮様よ。八重の汐路をサメが来る」

御田植祭の踊り込唄の中にうたわれるこのサメは、俗に「七本ザメ」と呼ばれ、伊雑宮

のお使姫だといわれています。

志摩地方では、旧暦の六月二十五日を「磯部さまの御祭日だ。七本ザメがお参りに来る」

と言って、海女は絶対に海に入りません。

的矢湾大橋から三五〇メートルほど東方の海中に、「神ノ島」(赤岩)と呼ばれる神聖な

島があり、七本ザメが休息するといわれています。付近を航行する船が、この島に櫓でも

櫂でもあたれば最後「命か眼」をとられるといわれ、たいへん恐れられています。

サメはそこから八重の汐路をさかのぼって、下之郷へ入ります。この下之郷大矢の沖合

いにある「お釜ケ渕」は、サメが遊んだところといわれています。

穴川に養鰻場がありますが、この堤防がこわれるたび里人は「これはサメが、通り道に

邪魔なものをつくったから、怒ってこわしてるんやないやろか」とうわさしたものです。

七本ザメは一本とられて、今は六本だともいわれています。

これは飯浜の海中を行くサメを穴川の武士が強弓で射てとったとも、坂崎の人がとった

とも、また、甲賀の漁師がとったともいわれていますが、真実はわかりません。

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古川の猿


 むかしむかし、わしらが若いときこわい話があっての。今の御幸道に「林玄仲さんの

碑」のあったあたりじゃ。

伊雑宮から差美長神社までの道を御幸道というんじゃが、「月よみさん」があったそう

じゃ。

そこに何の木か知らんが大木があっての、わしらの若い頃は若い者の夜遊びがはやって、

五カ所の方へ行くのにこの道を通ったものじゃ。

 ある夜の出来事やった。竹や大木の生い茂ったところを通っての、その大木の下に来た

ときじゃ「ガサガサ」と木をゆする、何やら大きなものが木におった。

 恐ろしゅうて足がガタガタするし、思わずうずくまって側の深い深い川の渕をのぞいた

たら、月の光に照らされた大きなものの影が映っていたんじゃ。

 こわごわ顔を上げてみたら、恐ろしい顔をした猿やった。

 こわくてこわくての、その夜はどうやって家に帰ったのかわからんかった。そしたら家

の婆さんにの「今日は磯部さんの御祭の日や。こんな日に夜遊びはいかんの。御祭の日は

神様が猿になって、月よみさんの森に来るのや」というてしかられての。

 しかし、世の中にこわい話もあるものや。

2.古川の猿.jpg



シンギョイ、ゴトゴト


 むかし、上之郷の「千田の御池さん」あたりを通るとの、何の音か知らんがするという

ことや。

 その音は「コトコト、スー」というような音での、村の人は誰というとなく「シンギョ

イ、ゴトゴト」と呼んだんや。

 おれは夜道はなれているし、よし聞いてやろうと何べんも通ったけどの、竹やぶの笹の

鳴る音は聞いたが、「ゴトゴト」の音はとうとう聞こえなんだ。

 あのあたりは寺はあるし、御池もあって人家も少なく夜まわりでも気持ちのええとこで

はなかったわ

 「シンギョイ、ゴトゴト」・・・・・・・へんな言葉と思っているがの。

毎年、春秋に松阪市の田舎にある両機殿で、絹と麻の御衣を今も伝統で織っています。

「新御衣」とは、今年の新しい「おかいこさん」の糸で織った絹の織物や新しい麻糸で

で織った麻の衣で、「シンギョイ、ゴトゴト」はこの織るようすをあらわしたものです。

 伊雑の神に供えるための機を織る場所が、「伊雑神戸」のあちこちにあったのでしょう。


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首つり松


 磯部と鵜方のさかいの「いまめ坂」の中ほどに、「首つり松」という松があった

そうな。

 ある日のこと、一人の物もらいがやって来た。あちらの家でもこちらの家でも物乞いを

するのだがみんなことわられ、とうとう何ももらえず、フラフラになってこのいまめ坂に

たどり着いた。

 もう一歩も歩けなくなって倒れこんでしもうて「もう死んだほうがましや」と思い、側

の松を見上げながら、どんにしたら苦しまずに死ねるかなあと考えていた。

ちょうどそこへ通りかかったのが、薬売りの行商人じゃ。

「何をしてなさるんかね」

「もうどこに行っても食べる物にありつけないし、つくづく生きているのがいやになっ

たいっそのこと死んでしまおうと思いましての。楽に死ねる方法はないものかと考えてお

りますのじゃ」

「それじゃ、私が教えてあげよう」

 薬売りは側の松に縄をかけ、こうするんだよといいながら首をつるまねをしてみせた。

 そしたらほんとに首がかかってしもて、いくらもがいてもあがいても手が上がらず、と

うとう自分が首をつって死んでしもた。

 これを見た物もらいは、あまりの恐ろしさに行商人が置いたく薬箱を持って、一目散に

逃げてしもうたということじゃ。

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送り狼


 孫平さんは気丈夫で足達者なかち荷もち。毎日朝早くから商用の品を天びん棒にぶらさ

げて逢坂道を伊勢へ行き、帰りは頼まれた品を買ってくることを仕事にいていた。

 その日は多忙で、帰り道を山路にさしかかったときには、秋の日はとっぷり暮れて、彦

ケ滝あたりの山の頂には満月がぽっかりと顔を出し、肌の寒さも感じられた。

 荷のゆれをなれた足腰で調子をとりながら、水のみ茶屋の水車の音を右に聞き、笹原茶

屋を過ぎてしばらく行くと、崖のすそに何か黒いものがうずくまっているのが見えた。

 けげんに思ったが、近づいてみるとそれは狼であった。

 オオカミはぐったりとしてくるしんでいるようすなので、さっそくちょうちんに火を入

れた。よく見ると、喉をひくひくさせ口から涎を流している。あいた口をのぞいてみる

と、喉に骨らしいものがひかかっている。

 苦しんでいるのはこれだと思った孫平さんは、指をつっこんで骨をとってやった。

 そして、水筒の湯を手ぬぐいに浸して口のまわりをきれいにぬぐってやりながら「苦し

かろう、さあこれで大丈夫。他人に見つからぬうちにお行き」といって山に放してやっ

た。

 それからというもの、夕方遅く帰る時はきまってどこからともなく例の狼が現れ、しば

らく孫平さんにつき従い、いずこともなく去って行った。

 そんな歳月が過ぎた三年目の、同じ秋の満月の晩であった。

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磯部の三匹狐


 浜島や前島の一部の人たちが、迫子から山越えで山原へ出て、恵利原を過ぎて伊勢へ従

来した頃の話だ。

 小川のオタツ、長坂のナガオ、杖立のオソメという三匹のいたずら狐がこの三つの場所

に住んでいて、ここを通る旅人たちをだましては困らせていたそうな。

 今日もまた、早いとこ逢坂道に出て茶屋ででも一服しようと、暗くなりかけた道を急ぎ

足で行く旅人があった。

 と、一匹の狐が出てきて、いかにも神妙そうに「この私が女に化けます。あなたはその

私を古市に連れて行き、女郎に売ってお金にしませんか」と言った。

 初めは真に受けないでいたが、何度もいわれるうちに金の力は強いものだ、ついその気

になってしまった。狐はまじめくさって「今私の体はずいぶん汚れています。お風呂に入

って美しくしたいのです。その間、私の尻尾を押さえていてくれませんか」旅人はもうす

っかり信用しきって「汚い体ではよい値もつかぬ」と狐のいうままになった。

暗いのでよくわからぬが、中でピシャピシャ湯あみの音がする。この機会を逃してなるも

のかと、必死で尻尾を押さえていた。

 ところが、いつまでたっても上がってこない。気を持ち直してよくよく見ると、ぎゅっ

とつかんでいたのは藁ではないか。湯あみの音は、近くの川の水が音を立てていたのだっ

た。

 もう夜は、ようやく白みかけていたという。

 今でも三つの場所の名は残り、何代目の狐になるのか、洞穴に出入りしているそうな。

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おくやまの山姥と榊


 昔はどこの在所でも貧しゅうて、働いても働いても豊かにはならなんだそうや。そんな

在所での出来事や。

 一人の若者が、逢うた人ごとに「メシを食わんで、よう働く嫁さんを世話してくれ」と

頼んでおったんや。それを聞いた村の人たちは、あれも一人ものでとうとう頭にきたんか

いなあと哀れんでおった。

 ところがある日突然に、きれいな娘さんがやって来て「話を聞いてやって来ました。私

をお嫁さんにしてくだされ」と頼んだ。

 若者はそれやったら、と家に入れてやった。ところがこの嫁さん、朝も早ようからよう

働くこと。

 しまいには男は不思議に思って、ある日のこと「これから隣の在所へ行ってくる」と声

をかけて家を出ると、急いで屋根に登って明かりとり窓から中のようすを見とったんや。

 そしたら嫁さんは、米をかしてご飯ができると、大きなニギリメシを作って頭の上にで

きた大きな口にポイポイとほうりこんで食べだした。

 びっくりした男は嫁さんの姿をよく見ると、それは恐ろしいおく山の山姥のクモがばけ

たもんやった。

 男は仰天したが、そ知らぬ顔をして「今帰ったぞ」と障子をあけた。

 嫁さんは男の前にすわって「私の姿を見たやろう。見られたからにはしかたない。もう

この家におられんから、ひまをくだされ」というた。男がうなずくとな、嫁さんに化けた

山姥は「名残り惜しいがつきはせぬ。別れのしるしにこの桶をくれ」と頼んだんや。男が

うなずくと、山姥は桶のふちに手をかけて「これは重うてよう持たん。すまんがそっちの

はしを上げてくれ」と頼んだんや。男は「よしゃ」と声をかけて、桶の片っぽうに手をか

けて桶を持ち上げたんや。そしたらの、その拍子に山姥はヒョイと男を桶の中にすくいこ

んで、すたすたと自分のすみ家のおく山の山奥をさして歩き出したんや。

 男は桶の中でオロオロしとったんやが、そのうちに一本の木の枝が桶のふちをかすめた。

 とたんに男は「しめた」とその枝に飛びついたんや。

 山姥のクモは桶が空っぽになったんも知らんと、目張りの奥のおく山へと帰って行った

んや。

 男がとびついたんは榊の枝やった。そやから榊は「剣呑」を避けたというんで「サカキ

サケンの神とまつわる神とまつる」というて、榊の木は神さまにまつられるようになった

んやと。

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坂崎の藤九朗爺


 むかし、坂崎に藤九朗という人がおったそうな。

 その藤九朗は易者の言葉を信じて、自分の寿命を予知し「この身代を残していくにはい

かにも惜しい。命のあるうちに使えるだけ使え」と毎日酒を飲み始めた。

 息子は息子で、親爺に負けては申しわけない。親爺もまた、息子に負けては恥ずかしい

と負けず劣らず親子が毎日酒を飲んだそうな。

 そんなことを続けているうちに、とうとう身代を飲みつぶしてしまった。あげくの果て

に、一升徳利をさげて東の大手の上でその徳利の酒を飲みおわり「人がきたら海へころげ

よう。人のこないうちにはハマられぬ。いかにしても死ぬのはいやじゃ」と待っていた。

 しばらく待っていると、そこへ人の姿が見えたので、藤九朗はこのときばかりに海へこ

ろげ落ちたそうな。これを見た人がかけつけ助けあげて事情を聞けば、「これまでに身代

を飲みつくし、このさき生きていくにも銭がなく、この始末でございます」という。

 そこで親類相談のうえ、香典の先もらいをすることになり、当分の生活費として与

えた。

そうしたら、これをくり返したんじゃ。

 それから坂崎では、泣き言をいう人には「藤九朗爺の香典の先もらいか」といったそう

な。

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峠の天狗


 天狗は人間に似たような姿をしているが、顔が真赤で鼻がめっぽう高い。高下駄をはい

ているが、体に翼が二枚ついていて空もよう飛ぶんじゃ。

 大きな岩や高い松の木のてっぺんに腰をかけて、笛を吹いたり太鼓をたたいてお囃子を

していることもあるそうな。

 ヒューリドンドンと聞こえるげな。

 迫子道を知っとるやろ、西ん橋(上池田橋)から山道ばかりだが、東坊をぬけて迫子の

在所にゆく道じゃよ。この道が五朗原の裾をよこぎるところは、急な上り下り坂道じゃ

が、穴川の人らはここんところを峠というてる。

 この峠の上には、道の両側に大きな松の木があって、木のてっぺんに天狗が腰をかけて

いるのを見たという人もあるそうな。

 昔のことやが、稲刈りもすんだんで、村の若い衆が骨休すめに四、五人つれだって、迫

子の朋輩のところへ遊びに出かけたんや。

 良いお日和じゃったが、西の風がよう吹いとった。仲の良い同志だったんで、退屈もせ

んと峠の上に着いた。

 ここで一服と、大きな松の下にどかんと腰をおろした。少し疲れたんで、しばらくだま

って休んでいたが、元気のよさそうなのが「おい、この松が天狗松か」といったら、みん

なじっと木の上のほうを見たんや。が、天狗はすわっておらんので安心したけんど、ちょ

っとうす気味悪うなったんやと。

しばらくしたら、他の一人が「なんやらおかしな音が聞こえるようじゃが、わしの聞かず

耳かいね」というんで、みんなじっと聞いとったら、笛や太鼓の音らしんで「もっとよう

聞こや」といい合って聞いていると、立って聞いていた背の高いのが「なんやらヒューリ

ドンドンと聞いたぞ」といったんで、すわっとった少し赤ら顔の男が「それは天狗のお囃

子だ」というより早く逃げだしたんや。

 ほかの者もびっくりして、われ先にと元来た道を一目散に逃げて帰ったんやと。

あとでわかったんやが、あの日は山原の村の秋祭りで、お宮さんで役の人らが一日中笛

や太鼓でお囃子をやっていたそうな。

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狐に負けた竹どん


 之郷から山田にかけての松林の道といえば、それはそれは細いうえに暗くて、昼でもこ

わいと評判やった。

その付近をにじ小森というてな、立派な杉やケヤキの木がたくさんあったが人家は少な

く、近くにはお稲荷さんがあってな、夕方になると狐や狸が出るんや。

狐に化かされた人は、たいていが魚をさげていったらとられたとか、ふり返っても誰も

いないのにザーッと音がするとか、アゲを買って帰ったら狐にだまされたとか、そんな話

ばかりでな。

その村に竹どんという気の良い人があってな、ふだんはボロ買いに精を出していて、少

し金がたまると伊勢へ遊びに行く人やった。

そんな話を聞いていても、竹どんは半信半疑やったが「いったい、どんなに化かすのか。

ようし、一つ狐か狸の正体を見破ってやる。おれは伊勢までよう遊びに行くが、化かされ

たことはないぞ」

お稲荷さんのお参りは毎月二十一日で、アゲを持って商売の人がよく参詣をしたんで、

竹どんもアゲを持って稲荷山へ向かったそうや。

「だまされんぞ。だまされんぞ」そう思いながら山田道にさしかかった。

と、付近の雑草がゆらゆらと動くではないか。

「あすこに家が一軒あったはずや」その家の灯りがかすかにゆらぐのが見えた。

それからしばらく歩いて行くと、その辺りが、ちょうど竹どんが始終歩く伊勢の町に入

るようにも見えてきた。

「おかしいぞ」と竹どんは思ったので「だまされんぞ」とフンドシを締め直しているう

ちに、いつしか小奇麗な家が見えた。なんだか美しい人が手招きをしているようでもあ

る。

 竹どんが中をのぞくと、ちょうど湯の音がして、ここちよさそうな湯気の立っている

風呂が見えた。小一時間ほど前に、一杯ひっかけてきた酒がきいてきたのか、竹どんはも

うろうとしてきた。

「よし、風呂に入ってやれ」

風呂は桶風呂のようでもないし、風呂にしては湯がぬるいし、少し変なにおいもした。

風呂をあがると、側に豆腐が置いてあった。

「ようし、これで田楽を作って焼いて食べるか」田楽の好きな竹どんは、豆腐を串刺し

にして作りはじめた。豆腐は変にバサバサと音がしたようだった。竹どんは、いくつもい

くつも田楽を作った。

 月が出たのか明るくなった。向こうから誰か歩いてくる音がした。竹どんは田楽作りに

いそがしい。

 竹どんは、まだ狐にだまされているとは思っていなかった。

 「竹どん、竹どん。狐にだまされているぞ」通りすがりの友人に肩をたたかれ、ハッと

気がついた。

 竹どんは、下水のため池の風呂に入り、枯葉を豆腐と思って竹に刺していたので

あった。

 「おれはいつの間にか狐に化かされたんや。たわいのないことや」と気づいた竹どん

は、くさい着物を小川で洗ってわが家にたどり着いた。

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飯浜の地名とカスタリサン


 この在所を、なんで飯浜と呼ぶようになったか知っとるか。

 それはのう、むかし倭姫の命さんが「おやの浜」に上陸られて、その奥の「こやの谷」

の「カスタリサン」で米をかし、「森の浜」で御飯を炊いて食べられたんで、飯浜と呼ば

るようになったんや。

 そして倭姫さんは「コワキの丘」に神さん(天照大神)を祀り、「機織姫」というとこ

で機を織ったんや。そやって、あそこでは静かな晩になると、ギーバタン、ギーバタ

ン、ギーバタンと機を織る音が聞こえるといわれとるやろ。

 また、カスタリサンの池の水は、今でも白うにごっとるやろ。あれは倭姫さんの米かし

汁でにごったんや。

 あのにごった水の中には、耳の生えたウナギが住んどって、むかしから日照りで困った

ときは、ここで雨乞いをしたもんや。池の水をかい出して、耳の生えたウナギが出てきた

ら、雨が降ったということや。

 あるとき、穴川の人がここでウナギをとって家に帰り、生かしてみたらみるみるうちに

ウナギは大きゅうなって、タライ一杯になってきたんやて。

 びっくりした穴川の人は、カスタリサンの主にことわりいうて返しにきたそうな。

 また、このカスタリサンの池のことを「天女ケ池」ともいうそうな。

 これも、むかしむかしの頃やろうなあ。カスタリサンの池で八人の天女が水遊びをしと

ったそうな。

 これを見た在所の老夫婦が、一人羽衣をかくしたんそうな。

 ときがきて、七人の天女は天上に帰ったが、羽衣のない一人の天女はこの在所に残った

んやて。

そいで昔からいうとるやろ「ベッピン見たけりゃ飯浜へ」と。

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坂崎の金三郎


 坂崎に金三郎という人がいた。金三郎は幕末の頃、鳥羽に出て仲間となり、稲垣の殿様

に仕えて信任を得た。

 性格は正直で無骨者。いっさい飾り気がなく、骨身惜しまず陰ひなたなくつとめた。毎

朝出仕してごあいさつをおこたることがなかったそうな。

 これが認められてか、殿様が外出されるときは、お籠の戸の開け役をつとめるまでにな

った。

 金三郎は、つねに朱ざやの木刀を右の腰に差していたそうな。その頃仲間の木刀は、全

国的にさや付きは共通であったようじゃ。

 金三郎は一生けんめいつとめ、だんだんと世間の話題にのぼっていたが、あるとき、殿

様が領地を巡行するお供をし、木刀を右腰に差して平然と意にすることなく従っていたそ

うな。

 それかというもの、金三郎の名前は志摩一円に聞こえ、ついに「ギッチョの金三」とい

われる名物男になったんじゃ。

 また毎年、盆と正月に村へ帰るときは、必ず銭三文のビラビラ花かんざしを、親類中の

娘たちに一本ずつみやげにすることを忘れぬ無邪気者であったとも伝えられているよ。

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いまめ坂


 穴川の里の巽(南東)の方に「いまめ坂」というところがある。古い志摩道のひととこ

ろだ。

 「いまめ坂から白塀が見える、あれは五朗太夫のお屋敷か」の唄のように、下之郷や伊

雑浦一帯のながめがよい。

 むかしむかし、日本の国中が東方と西方にわかれて大きな戦をしたとき、鳥羽の御領主

の九鬼守隆は東方に、父嘉隆は西方について親子が相い争った。

 このため、志摩の国でもあちらこちらで合戦がおこった。鳥羽や加茂、そして穴川では

座頭橋をはさんで、はげしい戦いがあったらしい。

 父の嘉隆は穴川の戦いで敗れ、鳥羽の方に退却していったが、家来にあたる甲賀雅楽頭

が軍勢をひきつれて甲賀から加勢にかけつけた。勢いをもりかえそうとしたが叶わず、

二、三人の家来とともに甲賀にむかって落のびる途中、日も暮れはて、やっといまめ坂に

たどりついた。

 このとき、皆がしきりと空腹をうったえるので、庄太夫という侍が最後の蓄えにと腰に

つけていた煎豆を差し出し、これをわけあって飢えをしのいだ。

 雅楽頭は、大いによろこび徳したという話。

 それで、もとは「いり豆坂」といっていたのが、いつのころからか誤って「いまめ坂」

と呼ばれるようになったらしい。

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狸のキンタマ八重敷


 むかしむかし、あるところにおばあさんと息子が住んどったんや。

 ある日、おばあさんが「秋風もたって冬も近こうなった。寒うなると焚物も焚かななら

ん。兄よ明日から山へ行くか」といった。

 息子は翌日から山へ出かけて、一生けんめい気を伐った。お昼になって、ひょいと横を

見たら、汚い手拭をかぶった家におるはずのおばあさんがしょごんどった。

 弁当を開くと「兄よおれにも半分くれ」

 「おおやろんの」息子は弁当を半分やった。

 夕方になって「ばあさん、日も暮れてきたよってに」とびきにの柴をもって家に帰る

と、ばあさんはちゃんとうちにすわとった。

 びっくりした息子が「ばあさん、ほんとに足が速いのお。ほんなら行こかと一緒に山を

でたのに」ばあさんは「おら、一日中うちにおった。山のことも弁当のことも知らん」と

いたんや。

 こんなことが三日も続いた。四日目にばあさんがいった。

「あの山には、狸の主がおるということや。今日はだまされんなよ。弁当くれと手を出

したら、その手をつかんで引きずってこい。おれが狸汁を食わしたるよってに」

 息子は、お昼になって弁当くれと手を出した手をわしづかみにしてきたら、うちにもば

あさんがちゃんといた。

 「ほれみよ、それは山の主やったんや。殺して狸汁にして食おや」とばあさんがいうと 

 「おら、そんな殺生なことようせん」と息子がいった。ばあさんは「お前がようせな、

おれがその頭を斧で断ち割って、ほいで狸汁にして食お」

狸はびっくりして「ほればっかりは堪忍してくれ。おれがだましたんは悪かったけど、

明日からもうせん」

 「お前の言うことは本当にならん。狸汁や」とばあさんが言うと

 「ほんならお前の願いを一つだけ何でもきくから、わがとの命を助けてくれ」

と狸がいった。

 ばあさんは「ほんなら、狸のフングリ八畳敷というとるが、本当にお前も広げて

見るか」

 よし広げてみせるという狸を、八畳の居間にすわらしてばあさんが

「ほら、今から広げよ」といった。

 狸は足をこう広げといて、キンタマを出しといて、両手でビューッと広げたんやて

 そしたら、キンタマが八畳の居間の隅から隅までビューッと広がったもんで、それから

狸のキンタマ八畳敷ということになったんや。

 その狸はな、そのまま「おおきんえ」というといて、ツーと山に逃げてたんやて。

 いきなり広げといて「おおきんえ」と礼をいうといて逃げたんやて。

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鶴の穂落し


 むかしむかし、磯部のこの辺りは一面葦の原で、満潮のときは潮がずっと入って

きてな。

川の水とぶつかりあったとこでは、いろんな魚や貝などがたくさんとれたんや。

 少し高いところには人が住み、冬でも暖かく、海のものも山のものも、川のものにも恵

まれ、何ひとつ不自由せんところやった。

 ところが、今からざっと数えて二千年くらい前に、不思議なできごとがあったんや。

 天照大神にお供えする魚や海草が必要だったんで、倭姫さんが志摩の方を回れて、ちょ

うどこの辺に来たときに、一羽の鳥が昼も夜も鳴き叫んでいたので「不思議なことよ」と

地主の伊佐波登美命さんが、家来の紀麻良に命じてそこへ行くと、今まで鳴いていた鳥が

鳴きやんで、何か落したんや。よく見ると、それはそれは見事な稲であった。この稲を落

した鳥は「白真名鶴」であったという。

倭姫さんは驚くやら不思議さやらで「物言わぬ鳥までも、このようにして大神様に仕えま

つる」と申し、伊佐波登美命に託して、この稲を抜穂にして供えたんや。

 また、大幡主命が女の乙姫に命じて、清酒を作らしめてお供えした。

 伊佐波登美命は、お宮を造って天照大神を祀ったんや。これが別宮(伊雑宮)となった

んや。

 また、穂落さんに鶴の霊を祀ったんが佐美長神社と・・・・・

磯部のおみ田のおこりは神代のむかし、というのはこの話が始まりや。

 めでたいこと、めでたいこと。

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木津の天王さん


 それはな、伊雑の浦がもっともっと磯部の奥に入りこんでいた頃の話さ。

 その頃、迫間の木津は家が立ち並んでいて、磯部の山から伐り出された木材や炭などを

運ぶため、港にたくさんの船が出入りしておって、なかなか栄えておったらしい。

 ところがある初夏の夕方のことじゃ。髪もヒゲもぼうぼうで、眼は鳶のように光ってお

って、白い麻の着物を着て、はだしで手には鹿の角をつけた杖をついた老人とも若者とも

わからぬ風体の人が、どこからともなくひょっこりやってきたんじゃ

 この異様な風体の人がきたうわさはすぐに広まって、物見高い連中で木津はいっぱいの

ひとだかりになったんやと。

 多くの見物衆が集まったところで、異様なこの人は話しはじめたんや。声は非常に澄ん

でいて、よく通る声で威厳もあった。集まった人らがじっと聞き耳をたてると

 「わしは牛頭天王と申す神じゃ。わしを祀らんか。わしを祀れば悪い疫はおこらず、お

こっても必ず追いはらってやる。また田畑の稔もようなるし、家々も村も栄えること間違

いなしじゃ」と申しわたされた。

 そこで人々は、少しお待ちを願って村々で相談することになり、急いで総寄りを開いた

が容易に決まらなかった。というのも、村一番の物持ちで賢い巨端という兄と将来という

弟がいて、兄弟の意見が分かれたからだよ。

 長い議論が続いたが、しまいには弟の将来の意見が受け入れらて、天王さまをお祀りす

ることになたんやと。

それからというもの、この土地には何の悪い疫もなく、怪しい者も入らず、田畑もよく

でき商売も繁昌したそうだ。ただ困ったことは、この神さまをお祀りするのに大そう物入

りが必要だったことだ。

 この神さまは、茄子や胡瓜や瓜類ばどが大そうお好きなうえに、盛大な祭りがお好みで

あった。葦などをどっさり使ったお船のお遊びもお気に入りで、それが出来ないと大そう

機嫌を悪くされたそうな。

 困りはてた村の人たちは再び総寄りして、こんどは兄の巨端の意見をとり入れて、神さ

まにどこかの土地へお立ちのき願うことに決めたんだと。そこで人びとは、葦をたくさん

刈って船をつくり、天王さまを木津の港からお流し申したそうな。

 それからというもの、夏になると疫病がはやり、伝染病にかかって多くの人が死んだり

田畑もできが悪くなり、そのうえ木津の港もいつしか土砂に埋まっても船も入らなくなり

さびれていったということだ。

 流された天王さまは、渡鹿野の人々が拾いあげてお祀りし、その後尾張の津島でもお祀

りされているよ。

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ごちそうにつられたカッパ


 これは坂崎か飯浜か、どこぞの話やろなあ。カッパばなしやって。

 ある晩のこと身持ちの嫁さんが産気づいて、旦那が産婆さんを呼びに行ったんやて。

 そしたら中途で大雨が降ってきて、それで歩きようもないもんで、そこにあった神様の

ホコラさんの中で、ちょいと雨宿りさしてもうたんやて。

 こうして静かに眼くさいで雨を止ましておったら、なんやら話声みたいなもんが聞こえ

てくるんやて。

 誰かいねえと思うて、よごっと耳をすまして聞いておったらの、そしたらの、神様どう

しの話での。

 一人の神様が「ねえ、この村にの、今晩はなんやがや、お産をする人が二人あるんや

が、一軒の家は女の子でもう一軒は男の子での。玉のような男の子が生まれるんやが、

ほやけどかわいそうなことにはの、この子の寿命がの、十五の歳の七月十四日、その昼の

十二時までしかねえがや」というのがひょいと耳に入ったんやて。

 みょうなことをいうとるぞよ。これが本当ならえらいことやぞよ。なんとか女の子であ

ってくれたらええがやねえと思うて、雨も止んだもんでせっせと帰って来たんやて。

 家に帰ったら、もう生まれとるんで「どっちやったんね」というたら「男の子や」とい

うもんで、まあびっくり仰天しての。走りこんでながめたら本当にの、玉のような男の子

やて。

 さあて、えらいことになってきた。神様のいうたことがあたってきたがやと思うて、そ

れで嫁さんに内密にしての、毎日を「この子がはよう大きならなええが。はよ十五になら

なんだらええがの」と思いながら暮らしとったんやて。

それで、とうとうその日の朝になってしもたんやて。「今日はの小豆飯を炊いての。ほい

でおかずもちょっとよけいに作っての、重箱へつめての。あれを海へ遊ばしにやれ」とい

うたんやて。嫁さんもいうたとおりにしての、子どもは弁当を食べかけたんやて、弁当を

の。そしたらいうての、カッパが上がってきたんやて。

 カッパはぎちそうがよけあるもんで、食べて食べてしとったんやて。ほしたらなんやて

なあ、みな食べてしもうたらの「ありゃ、えらいことやが。まあ十二時がすんだがや」と

いうて、子どもの命もとらんと、スウーと海へ入ったんやて。ほいでその子は長生きした

んやて。そんな話や。

 そいで十四日には海へ入るなというとるんやろなあ。

17.1ごちそうにつられたカッパ 1.jpg

小田坂の釣瓶落とし


 むかしむかし、上之郷から恵利原へ行く小田坂であった話や。あの辺りはな、人家もな

く大きな木が枝をはっていて、気味の悪いところやった。

 ある日の夕方のことや。政どんという人が恵利原の親類に用ができてな、秋の夜道を急

ぎ足で小田坂を下りはじめたんやて。

 提げたちょうちんの火は暗く、下駄の音がカラカラとひびく。

 「あの辺には狐や狸がおるでなあ・・・・・・・」

 政どんは親のいったことを思い出したんや。

 しばらくして、何の木やったか大きな木の下に来たんやて。すると、ザワザワと笹の葉

が鳴って、何やらスルスルッと目の前に降りてきた。

 「やっぱりきたきた」

政どんは、グッと腹に力を入れ

 「下げ釣瓶や!」

政どんはちょうちんを上げて、目の前のものをつかんだ。何か右手につかんだようだっ

たが、そのはずみに下駄がすべってひっくり返ったんや。

 木綿の着物は、すそが汚れて汁でびっしょりやった。

 つかんだんはつる草やった。

 釣瓶らしいものをのぞいたときは、水はなかったようだったが、底知れん深いもののよ

うに見えたんや

 顔を上げたときはもう釣瓶はなく、天狗さんのようなものが木の上に登って行ったん

て。

ただそれだけのことやったが、帰りにもこの道をどうしても通らなければならない。

政どんは困ったときに「『磯部さん、磯部さん。どうぞお助けを』」と唱えよ」と親に聞

いておったんで、そのように唱えると不思議や不思議、急に心が落ちついて、ちょうちん

の火で何でもよく見えるようになったんや。

それからはの、小田坂もこわくなくなったんやて。

築地の長坂の「しんぞう狐」や山原の「お辰狐」の話もあってな、本当にむかしの夜道

は恐ろしかったもんや。

18.小田坂の釣瓶落とし.jpg

磯部の狼


 むかしむかし、大むかしの日本ではなあ狼のことを「大口の真神」とも呼んで、畏れ恐

れていたそうな。遠くの在所には、今でも大神を神と祀る神社もあるということや。

 こんな日本の狼も、明治三十八年やったか紀伊の山中でとれたんが最後で、それ以後は

みられんようになったということや。

 志摩ではなあ、江戸時代も終わりに近い天保三年の夏の七月、病い狼があらわれて、鳥

羽の町内で大荒れした記録があるそうな。このときは四人がかまれて、四人ともそのきず

がもとで死んだそうな。このとき、狼を退治した伊勢の朝熊の人もかまれたんやが、反対

にその狼を食うたので助かったそうや。

 磯部ではなあ、逢坂山の狼の話はよう聞くが、狼に喰われて死んだという話は聞いたこ

とがない。

そうそう、狼といえば夏草や。あそこもむかしは草ぼうぼうの原っぱで、狼の巣くつに

なとって、狼を恐れた村の人たちは力を合わせて、大きな一字一石の経塚を築いて害を

封じたそうな。

また、築地の京路山にも狼がおったそうな。飯浜の在所には「遊んで食うていきたかっ

たら、築地の京路山で寝ころんでれ。狼が喰うてくれるぞ」という言葉があってなあ。

それから、平家の赤旗で有名な五知を知っとるやろ。あそこの上五知には本当に狼がお

ったということや。

ある日のこと、女の子が山へ風呂焚物をとりに行ったその帰りがけに、仔犬と思うて狼

の子を拾うてきたんやそうな。そしたらな、その夜さりになったらな、親狼が恐ろしい仲

間をつれてやってきて、上五知中が大騒ぎになったことがあるんやて。

19.磯部の狼.jpg

京路山の狐


 京路山は、築地の集落のうしろに屏風を立てたように立っており、山の形はおだやか

で、相連なる二つの峰は遠くからながめると、夫婦が寄り添っているようだといわれてい

ます。

 この山の背に高麗広や泉、切原へ通う細い杣道があります。築地の人々はむかしからこ

の山の木々で炭焼きをしており、多いときには百軒ちかくも炭焼きをしていました。

 いつの頃の話とも、名前もさだかに聞いておりませんが、律儀で心根のやさしい一人の

炭焼きの老人がいましてな、丹精に焼いていたそうです。

 この老人の炭がまのあたりに、いつからともなく狐がちょこちょこ現われて、老人の昼

飯の残り物やおやつをねだるようになり、老人もこの狐をひとしおかわいがりました。

 秋も終わりのある日、その日は炭がまに火を入れたときは、あたりはうす暗くなりかか

っていました。

 老人が山道を帰りかけるととっぷりと日は暮れ、手さぐりではうようにして坂道をくだ

りかけたが、暗くて道が分かりません。

 途方にくれていると、ふもとの辺りにちょうちんの火のようなものが、ぽっかぽっかと

照りだしたのです。

 老人はやれやれと胸をなでおろし、日を目当てに無事に下山することができましたが、

気づいてみると火は跡形もありませんでした。これはきっと狐火だったのでしょう。


20.京路山の狐.jpg

平家の里


 わしが嫁に来たときにな、おばあさんから聞いた話や。

 遠いむかしのことでな、源氏と平家が争ったときにこの辺りに平家の落人が来てなあ、

昼は追ってが来て出られんので、夜になると出たそうな。

 東の青峰さんに日が照ると、落人は隠れて寝たんや。それで「ねどき」とそのところを

いうんやて。五知には平家の話ばかりでのお、四国にもあるそうやけど、今の下五知の

寺には、平家の赤旗が箱に納められて大事にされているんや。

 赤旗はあげは蝶の姿が二匹画かれていて、布地は絹でのお、今にも二匹の蝶々が飛

んで出るようや。もう一つには御神号が書かれていての、平家も尊敬した神様の名でな

あ、これは平家に関係した人が持ってきたもんや。こんなもの、無理に作ったもんやない

わなあ。

 ここの近くに六盛塚があってなあ、平家の武士が六人まつられているそうや。

 上五知には「恒武の森」というところもあっての、五知の平家は伊勢の沼木から来たと

いうそうな。

 沼木からはな、高麗広を通って磯部谷の方へ来れば五知へ来れたんや。ようここまで逃

げて来れたもんやと思うがの。

 平家と磯部が関係あるなんて、夢のようなうれしい話やのう。


21.平家の里、五知.jpg

山田のお稲荷さまと信爺さん


 信爺さんは五カ所方面の人やったそうな。篤信な人で毎月山田のお稲荷さまへお参りに

きた。その帰りにはいつも川辺で一膳飯やらうどんを食べて帰るので、かわいい孫もよろ

こんでついてきたそうな。

 ある日のことやった。信爺さんはまた孫をつれてやってきた。ところが、途中で財布を

忘れてきたか落としたか、懐中にないんやて。

 「コリャー弱った。お稲荷さまには事情いうておがんどけばよいやろが、あれには一膳

飯どころか、一本のうどんも食わされん。楽しみのないことをしてしもた」

 お稲荷さんの坂道を、気持ちもしずんでしおしおと登りはじめたんやて。そこへ一人の

人が降りてきて「あんたはいつもお参りにくる人やなあ。今日の顔色はどうもおかしい。

すぐれた顔色やないのお。なんぞ心配ごとでもあるんか」と聞いた。それで実はかくかく

しかじかと話すと「それは気の毒にのお。しれじゃこれをあげる」と五十銭銀貨を一枚く

れた。

 「見ず知らずの、どこのお方ともわからぬ人に、こんなお情けをいただいては申し訳な

い。せめてお名前だけでも聞かせてくだされ」信爺さんが頼んだところ、その人は自分の

住んでいるところをこころよく教えてくれた。

 おかげさまで信爺さんは無事にお参りをすませ、川辺のいつもの店でうどんでもいただ

いて家に帰ると、そこにはなくしたはずの財布がおいてあった。

 よろこんだ信爺さんは、その足で急いでお金を返しに出かけたんやて。

 山田の在所についておどろいた。教えられたところにはどこかで見たような木が茂り、

そこには人が住んだり、小屋掛けしたような跡もないんやて。里人に人相、風体、年格好

を話しても知る人はいない。

 秋の夕日は釣瓶落としや。困りきった信爺さんは、そのときハタとひざを打った。

 「これはお稲荷さまや。人間の姿をかりて助けてくれたんや。神様なりゃこそこんなお

助けがあったんや。ああ、お稲荷さまはありがたい」

 それからは、信爺さんは信心もあらたに、お稲荷さまの功徳を語っては、月参りを一生

欠かさなかったということや。

22.山田のお稲荷.jpg