コラム

エブリワン

2010年8月1日

 ここ何日か観光座談会と称して、各町の観光に携わる方々とひざを交えてお話をする機会を持たせていただきました。座談会ではこれまでのお仕着せの会議ではなく、参加者が今の不満や希望をこれまで以上にぶつけ合い、自分のこと、観光のこと、経営のこと、そしてこれからのことを、真剣に 語り合いました。
 中では、志摩市合併当時の後退しつつある観光の現状を底辺に抱えながら、合併後、市も観光協会もこれといった観光施策を打ち出せず、未来につなぐことの少ないイベントに傾注した反省や、観光産業再起動についての真剣勝負のお話が聞けました。
 そしてこれからは大きく志摩市としての観光のあり方と、旧町が長年にわたり構築してきた伊勢エビの町、あわび王国、的矢かき・神話と伝説の町、安乗ふぐと真珠の町、そして絵描きの町の姿をもう一度先鋭化して、各町メリハリの利いたゾーニングをすることで、観光の再起動を図ることを提案させていただきました。またこれまでの協同や協働から、市民・業者・行政が限りなく一体化しての融合を図ることでのより一層の観光進展を提起させていただきました。
 ここまで市の景気の低迷が叫ばれる中だからこそ、次なる繁栄を目指して、市民、業界、行政がより融合連携をしての建設的施策の作業が必要だと思います。
 そしてこれに関連して、これまでのこと、考えたことの中で、自省の意味も込め、改めて行政組織と市民について思うことを語らせていただきます。
 合併後5年が経過し、その是非が議論される中、地域の振興、住民サービスの向上と何よりの市の活性を期するためには、住民のご努力はもとより、行政がこれまで以上に積極的に政治をすることが大切です。そしてそのためには、住民の幸せと、願い・繁栄を核に、市の三役、各部、全職員が行政サービスのあり方を再討議し、自分が市長ならの思いで、それぞれの担当部課での職責を充分にまっとうする事が大切であります。もちろん責任の大本、政策の大本は市長にありますが、これまでどおり各部が確実にその部署での責を果たすことはもちろん、さらに踏み込んで積極的に、もうひとつ我が部で何ができるかを探り提言し、効果的にそれを実行する事が大切であります。
 城にたとえれば三役は本丸で、それぞれの部は出城であります。出城での城主である部長が課員と共に、自己判断、自己決定、自己責任を拡大自覚し、志摩市を愛する市長ならばどうするだろう・どうしたらの心持ちで、換言すれば、各々部長と課員が市長の分身のごとく行動することで、行政の活性化が進展するものと信じます。
 一人より二人、二人より三人で、市を真剣に思い三役と心をひとつにする職員が、住民福祉を命題に、懸命に市の中で働き消化することで市を螺旋的に良くして行くのです。
 政策立案のリーダーは市長ですが、立案企画への参画、実行についても、これからも市長オンリーワンから全職員、全市民、全業界エブリワンで市政を捉えていかなければならないと思います。




祭りとイベント

2010年7月1日

 伊勢えび祭が6月5日に行われました。今回も伊勢えび祭保存会の気配りをいただき、夜の部に参加させていただきました。 踊りの行進では先頭部分で提灯を持たせていただき、ゲストの伊勢えび祭盛り上げ隊長稲川淳二さん、田中征也さんと三人で元気に露払いをさせていただきました。踊り手、観客あわせて4万人もの参加ということで、汗とび散らせての爽快で快活な踊りも見事なら、会場の観客も総参加で楽しんでいただき、たいへん楽しく面白く全員さわやかな汗と満顔の笑みのもと幕を閉じました。企画参加をされた実行委員会の方々にはご苦労様でした。本当にありがとうございます。
 また、志摩市の各旧町にはその町を誇る祭がそれぞれにあり、合併して5年がたち、今後この祭りはどうなっていくんだろうという思いや問いかけを、耳にする機会があり、改めて志摩の祭りについて考えさせられました。
  祭りは全く庶民的なもので、いまさら祭りの説明かと思いますが、あちこちの祭りに参加し、よく考えると、それが祭りなのかイベントなのかわかりにくい事があります。
 そこで本来の祭りとは何なのか調べてみると、実に多様な議論があり一概には言えないのですが、基本的には歴史的に形作られたもので、ご神体や様々なシンボルをかつぎ、独特のしきたりやルールを定め聖なる場所と時間をかもし出すもの、非日常の時を共同体で過ごすもの、また地域全体で季節ごと、一年ごとに繰り返すことでそこに住む一員としての仲間意識や連帯感を育てるものと書いてあります。
 イベントとは企画者の観点から見た客観的なもので企画した行事や催しとあります。 そして今、志摩市の中では祭りの継続と、町おこしのイベントとの議論の中、それぞれの祭を継続発展させていく機運が盛り上がっています。志摩市の元気おこしのため、これからの祭りのあり方と再構築、加えて市からの補助金の話がまな板にのぼっており、今年度はその見直しの年となっております。満足不足納得など補助金の議論がはじまりますが、まずは参加して、ご尽力されている方々のお話から聞いていきたいと思います。
 また旧町別の祭りを見てみると祭りとイベントが分かれているもの、神事の祭りとイベントが混合されたものがあり、それぞれに主催者・参加者ともに頑張っていただいておりますが、祭りをとおした地域文化の継承と、参加して楽しい祭りのあり方、そして祭をとおしての稼げるまちづくりを進めていきたいと思います。皆様にも旧町の枠を超えてそれぞれの祭に参加して、大いに人生を楽しんでいただきたいと思います。











文化活動

2010年6月1日

 先月、文化協会志摩支部の平成22年度総会があり、来賓として出席させていただきました。 会議冒頭の挨拶では、会員の方々に、平素からの志摩市の文化向上へのご尽力に感謝を申し上げ、協会での美術部、芸能部、生活文化部の各活動に加え、県主催による新体操世界選手権大会、県展伊勢志摩展、ミス三重と青い目の人形展等への会員様の積極的なご協力に敬意と感謝を申し上げ、最後に文化協会と会員各位様の今後のご活躍をお祈りして、挨拶を終えました。
 挨拶のみで総会への臨席は部外者という事で退席をしようとしましたら、司会の方から「この場にたくさんの会員もお見えになっているし、市長にこのあと時間があるなら、文化活動も含め市政全般について、ここで質問タイムを設けるから、少しいかがですか」とお話をいただき、和やかな雰囲気の中で、いくばくか市政の報告と質問に答えさせていただきました。
 その中で、「市長はこの文化協会の活動と文化についてどのようにお考えですか」とこんな鋭い質問を受けました。私も文化に対してはいろいろな思いもありますが、この日は「数学とか物理の分野で、新しい発見や法則を見つけるのは、二十歳前後が一番多いと聞きます、しかし文学や俳句、彫刻、絵画は50歳前後の方々が、一番、円熟したすばらしい作品を作られると聞いております。
 これは長い人生を真剣にいき、人生の甘みも辛味も経験し、本当の優しさも厳しさも知り得るからこそ、その味わい・風格が作品に表れるものと聞いております。 
  また、このように、これまでの人生を芸術に表現することは、一つの生きがいになると思いますし、同じ仲間で競い合う事は、本当の生涯の仲間づくりであり、本当の生涯学習であると思います。年老いてから杖を使うように、文化芸術活動は年老いてからのこころの杖となりうるものだと思いますし、この活動は人生のこころの杖といえます。
 これからも志摩市としましては、皆様の活動の環境整備に努力させていただきます。」 そして家に帰りましてから、仕事を芸術の域にまで高められた方々、志摩市の生んだ孤高の芸術家平賀画伯の生き様にみる気迫と画風、市内で活動されている芸能、演劇をされている方々の繊細さ、芸術家の方々の素敵な風合い、そして文化協会で活躍されている方々の素晴らしい作品と空間に思いをはせ、何となくうれしい時間を過ごしました。
 市民の皆様には時間が都合できますならいろいろな文化活動へ参加されることを願いますとともに、これからも市内各地で開かれます文化活動の発表会にはぜひとも足を運んでいただき、こころの糧にしていただきたいと思います。












校歌

2010年5月1日

 ここ数週間の間、いくつかの卒業式と入学式にお招きをいただき、出席をさせていただきました。小学校・中学校の卒業式は、会場の飾りつけや式の進行も、先生と子どもたちの真心と工夫がこらされ素敵なものでした。
 でも、子供たちの声や元気な姿に躍動感がある中にも、生徒たちは式の間は厳かで、いかにも桜の香りただよう日本の式典という風情でした。そして送る在校生、送られる卒業生も、卒業式という独特の雰囲気の中で、式が進行するにつれて、たくさんの喜びと、大粒の涙で惜別の感情をあらわにしているのを拝見して、その子どもたちの純な姿に感動しながらもなぜか嬉しく思いました。
 中でも、君が代と校歌、そして式歌と、同じ歌を協働して一体となって歌う姿に、自分たちの母校を誇り、また郷土愛に包まれたその学校の一員としての一体感を見せていただき、ことさらに感動しました。本当に素敵な時間でした。でも自分の母校である高校の卒業式と入学式にお招きをいただいたとき、同じ卒業式、入学式なのに何かこれまでとは違うものを感じました。これは何なんだろうと考えてみたら、君が代はもちろん、校歌すら歌わない生徒がたくさんいたからでした。3年間、青春の一番大きな時間をすごした学校なのに、不思議な事です。ま、今風の子供たちだし、自我の存在が定着してきた年代特有のスタイルなのかもしれないと思ったりしましたが、少し腑に落ちませんでした。私が古いのか、今の日本と、日本の教育の在り方が問われるのかとも、色々と考えました。
 そして校歌を斉唱しなかった生徒は、3年間の自分に自信が確立できず、所属した学校に誇りを持てず、学校生活を生き延びただけの生徒なんだろう。校歌を斉唱した生徒は、3年間の自分に自信と、母校に誇りを持って、活きた学校生活を送った生徒なんだろうと、私なりに解釈して心を静めることにしました。そしてまた卒業して何年かして初めて本当に自分の母校の校歌が本当にすばらしいものであったと、いまさらに思いました。本当にそれぞれの皆様の母校の校歌は実にすばらしいものです。
 そしてもうひとつ、君が代を歌う歌わないは、個人の自由だと思いますが、私としては、色々哲学や考え方はあるかとは思いますが、それを乗り越えて、君が代や校歌を会場一体となって斉唱すれば、大きな意味での心のつながりがで、未来と平和を今以上に真摯に語り合えると思います。皆様も、もう一度自分の卒業された小・中・高の学校の校歌を思い出して歌ってみませんか。
※ 講談社国語辞典には、生きるの、一番目の意味は生きている。活きるの、一番目の意味は生きて働くと書いてありました。












新茶・自家茶

2010年4月1日

 市内各地の自家茶や越賀茶の季節、新茶がおいしく飲める時期になりました。 熱い湯気に包まれて、深緑の(緑濃い)新茶の深志摩でとれた越賀茶でいい香り、そしてさわやかな甘味と淡白な苦味、お茶を飲むとなんだかほっとします。ましてやとなるとなおさらです。お茶を飲むのは楽しく、茶会での話しはうれしいものです。
 でもよく考えてみると、私はいつも何かにせかされて、時代劇で見るような、春風の中、顔に大気を感じながら、縁側で、時間を気にせず、こころ静かに落ち着いて飲むとか、茶室で、時間と人生を優雅に語りながら、友達と楽しみながら、ゆったりした時間の中でお茶を飲んだ記憶がありません。
 そして、日本には茶道という世界があり、それは特別の伝統美と格式をもって、茶と人生を楽しむ文化があります。茶道は日本が世界に誇り、冠たる日本文化として、わが国はじめ広く世界の国や人々に受け入れられています。
 そして改めて茶道を見つめてみますと、もちろん禅の世界にも通じるのですが、語られていることにこんな事がありました。茶道の言葉には喫茶喫飯、時に随って過ぐ(すぐ)というものがあり、意味を調べてみると、心の澄んだ人は、ものを食べる時、ただ腹が減るから食べるのではなく、食は他の命を食(は)む事だと知っていて、その人の飲み食いと言う仕草の中に、自然への畏敬や感謝をはじめとして、そこから派生するその人の生き方、人生の受け止め方が食の動作に誠実にあらわれるものだ、だから無心に茶を飲み、無心に食をする、その表現が茶道だとあり、それがふくらんで、茶そのものにふれ、茶の食感、甘味・苦味・渋味を人生になぞらえて、青春は甘く、中年は苦く年を重ねて渋みがでる、とこんな形で、茶は幾重にも幾重にも語られています。
 そこで今年はそんな事を思いながら、少し時間をかけて、初心に帰り、舌だけでなく心のひだも使って、志摩市各町のお茶を楽しんでみたいと思います。





















公約と個別受信機

2010年3月1日

 私が市長に就任して丸まる一年が経過しました。
 本年は、志摩市再起動の公約に基づいて、「市民の皆様一人ひとりが心豊かで安心できるまちづくり」「稼げるまち、稼ぐお手伝いができるまちづくり」をめざして、昨年に続き、施策の検討と実施を順次進めていきます。
 そして、選挙のときに掲げました、公約の中、特に重点的に取り組む施策としまして、「農林水産、商工、観光の振興と財政健全化」「子育て環境の充実」「質の高い防災の実現」「保健、福祉、医療の充実」「老後安心、子育て支援、青少年の育成」「介護の充実」「補助金の見直し」をうたいました政策を、できることから実現していきます。そして今回は、「質の高い防災を実現します」の公約の中で、「阿児町・志摩町への個別受信機の2年以内の配布、浜島町・大王町・磯部町の古い機器への対応を迅速に実行します」と公約させていただきましたが、就任2年目の今年、ようやく議会でのご理解もいただき、予算もつき、本年度内に21500台の個別受信機を、屋外子局の工事とあわせて、順次、市内全家庭に配布をさせていただきます。詳しくは改めて市民の皆様にお知らせをさせていただきます。
 今、市を取り巻く環境は非常に厳しいものがありますが、市民の皆様の期待に応えるべく、市民の皆様や市議会議員の方々とも真摯な議論を重ね、「今かわらなくては、今かえなくては、志摩市再起動」を合言葉に、市民の皆様の負託に応えるため、職員共々、全力で頑張ってまいります。
 また、今年は広報2月号にも書かせていただきましたが、今後10年の志摩市の財政の健全化と地域振興を目途に、財政面での指標とするため「財政健全化アクションプログラム」を策定しました、そしてこれを核に、「住んでよかった、訪れてよかった」の志摩市づくりに、さらに精魂をかたむけて行きたいと思いますので、市民の皆様方のより一層のご理解とご協力をお願いいたします。
 また、ドイツの、マックス・ヴェーバーが言った、政治家の本領は党派性と闘争であると断定し、そのうえで、政治家とは、ひとつに 未来を構想しながら、現実を変革していこうとする情熱、二つに、現状をいまそこにあるままに、しかも一定の距離感覚をもって理解できる洞察力、三つに、政治がときには暴力〔戦争〕を手段として選ばざるを得ないことを踏まえた時には、それへの結果責任への自覚の3つを挙げています、このヴェーバーの言うこの姿勢が、全部ではありませんが、このような事も心して、安全で安心して快適に暮らせる、志摩市を構築していきたいと思います。
 あらためて、市民の皆様お一人お一人の、行政への、より一層のご理解とご協力をお願いいたします。










成人式

2010年2月1日

 先月の10日、志摩市成人式が阿児アリーナで行われました。
 男子290人 女子273人 計563人の方々がめでたく新成人となられました。成人式参加された方、都合で参加できなかった方、皆様、誕生日はそれぞれですが、この人式が行われて、初めて世間では、満年齢20歳に到達された方々を、大人として認知されるのが通例です。 男の子から少年へ、そして大人としての男性へ、女の子から少女へ、そして大人の女性へとなったことから、この方々はいやおう無しにこの成人式を境に、改めて社会への大きな責任を持つことになります。
 それは法律的にも重要な国家の一員として認められ、選挙権をはじめ貴重な権利をされると同時に、国家社会に対しての義務と責任を果たす立場になったという事であります。
 そんな中、成人式を通じて思うことがあります。それは本当の成人とは、大人とは、どん人をさすのだろう、一人前とはどういうことなのだろうかと。 こんな話を聞いたことがあります。
 それは稼ぎと勤めという二つの言葉の違いです。聞くところでは、稼ぎとは自分たちの生活のめに働いて、家族や子供を養うためのお金を得る行為であり、務めとは、働いて生活の稼をする以外のところで、地域の消防団や青年団、PTA、神社やお寺、婦人会等の活動に参加して、自分の知識や能力そして時間を、それらに費やすこと、すなわち地域に奉仕することであり、昔から日本の社会では、稼ぎと務め、この二つのことが、両立できて、初めて一人前の大人として、また地域の構成員として認められたということです。それはまた、ただの地域の一住民から、地域を構成する大切な人として、かけがえのない人として、まわりからその人格を認められるものでありました。そして地域の祭りとか伝統行事に寄与することで、地域での連帯感・郷土愛を深めたというものです。
 なるほどと大いに共感を覚えるものであります。 でも今は、個人と個性ばかりが声高に叫ばれ、日本人が文化として持っていた民族意識や向こう三軒両隣と言った隣保の意識が希薄になり、また不景気とは言いながら、あふれかえる品々に囲まれ、購買欲ばかりに追い立てられ、なかなかそんな余裕と時間を作れないのが現状です。でもこの成人式を機に、志摩の若者には、改めて今以上の大きな志を持っていただいて、自分たちの地域を見つめ直し、郷土愛のもと、地元に貢献をお願いしたいと思います。
 そして、どうか今年の成人式を迎えられた方々には、今もっている多彩な夢と志を忘れず、志摩市にとって、よりかけがえのない市民として、大いなる活躍をしていただきたいと思います。今こそ、稼ぎと務め、この違いに思いをはせていただき、地域の中で仲間づくり、地域づくりに、また志摩市おこしにご協力とご尽力をさらにお願いし、改めて、輝かしい新春の中、成人式を済まされた、たくましい志摩の若人に、心からお喜びとお祝いの言葉を申し上げたいと思います。












里 海

2010年1月1日

 昔から、海は魚介類海草など食料の供給先として、また移動の場、海路として利用されてきました。そしてそれは今もまったく変わりありません。また海は、そのたたえる水の様々な力とはるかな甚大さゆえに、人間の生産活動の残渣の最終の捨て場として酷使されてきました。
 また昔の漁法や小規模な養殖から大きく変化して、大量捕獲の技術の進歩、規模の大きい養殖技術の多彩な進展などで、海と、海の拡大的利用にともない海と接する沿岸部も大きく変化してきました。
 しかしこれまでは海を利用して、海からの恩恵物を得ることのみに終始した人間活動で、沿岸部の海は大きく疲弊し、ひるがえって今はその沿岸域の海を利用する人々、特に志摩市では真珠養殖業者、青さ海苔業者に、経済背景もありますが甚大な被害を与えております。
 そこでこの状態を打破し、昔ながらの豊かな海を取り戻し、海に大きくその生活をゆだねてきた志摩の漁民はもちろん、きれいな海を観光資源としてこれからも利用し、海を生活の糧として生きていくために、これまで様々な方法がとられてきました。
 しかし海への思いが現状のままであったり既存の考え方だけでは、海の環境悪化はとどめようがない状態です。そこで、国も私たちも、これまでの海にかかわる人々とその近くの人々だけがこの海環境悪化に対応するのではなく、海との関係が直接見えない陸上域の人々も巻き込んで、その改善と保全をしようと大きく考え方が変わってきました。その有力な方法として整理されてきたのが里海という考え方です。九州大学の柳教授は、里海を「物質循環」、「生態系」および「ふれ合い」という保全・再生される3つの要素と「場」と「主体」という2つの活動要素により構成されており、人間の手で陸域と沿岸域が一体的・総合的に管理されることにより、物質循環機能が適切に維持され、高い生産性と生物多様性の保全が図られるとともに、人々の暮らしや伝統文化と深く関わり、人と自然が共生する沿岸海域のことをうたわれています。
 そしてこのことを受け、海からの収穫だけに心奪われることなく、海と共生し、海を里山のごとくにとらえる新たな考え方のもと、海に従事しない人や、海を囲む全地域の方々にも、海と陸のあり方を説明した、海環境の正常化に協力を積極的に取り組む革新的な漁民の人々や、里海という考え方で心をひとつにする市民の存在が必要になります。
 素晴らしい志摩市、陸はおよばず海がこれまで以上の生産の場所として、豊かな志摩市を築くため、ぜひ皆さまにこの里海についてお考えいただきたいと思います。




ボランティア

2009年12月1日

 先には市議会議員選挙も終わり、22人の議員さんも決まりました。そしてミズノクラッシク、各地区での敬老会、そして秋の諸展覧会も終わり、いよいよ来年を迎えるべく年末に向けてあわただしくなってまいりました。
 それにしても、これらの諸行事やイベントで、感謝とともに一番に思い起こすのは、これらに献身的にたずさわっていただいてるボランティアの方々です。 どの行事も、市にとっても市民にとっても、大切なものばかりで、市の政治に、市の経済に、そして笑顔一杯の福祉の増進と向上に欠かすことができないものばかりです。
 そしてこれらの開設や開会、拡大と維持には、舞台となる環境はもちろんですが、志と心意気をもって、これらに参加・協力してくれる人たちが不可欠です。どの行事ひとつとっても、沢山の人たちの協力がなければ成り立ちません。
 一本のろうそくのように自分の身を削りながら、周りに暖かく優しい光を投げかける、また一隅を照らす一条の光となって、全体を明るく意義あるものに照らし上げる、ボランティアの方々には本当に頭が下がります。ミズノクラッシクでお手伝いいただいた方々、敬老会等で舞台に演芸に、音響設営に、弁当の手配といろいろにご尽力いただいた方々、展示に奔走された方々、そのほかのボランティア活動に腐心されている方々に、本当に心から感謝します。今は人情が地に落ちたとか、わがまま主義が横行し、社会一般が世知辛くなったと一部言われますが、このボランティアの方々を拝見すればするほど、まだまだ日本という国、志摩市はすばらしいものです。
 私も改めて、地域への市民参加とさまざまなボランティア活動について、皆さまと一緒になって、もう一度考えてみたいと思います。












台風18号

2009年11月1日

 先には市議会議員選挙も終わり、22人の議員さんも決まりました。そしてミズノクラッシク、各
 10月8日、午前0時を過ぎ、先ほど3回目の志摩市災害対策本部会議を終えたところです。
  この会議には各部長、消防団、教育長、正副市長などで構成され、自衛隊の先遣隊2名も久居から情報収集と大災害時の連絡にそなえて参加してくれています。
 これは、50年前に、この地方に大災害をもたらした伊勢湾台風にコースも類似し、規模も同等の大型台風18号がここ志摩地方に接近しており、この台風から、市民の生命と財産を守り、被害を防ぎ、減災と、非常時に備えるためです。各方面隊消防団、団員とともに市も、市内巡回と各道路の交通整理、冠水の把握、道路の状況、被害の把握に努め、市内の住民への情報伝達と警戒への注意、そして支援に努めています。
 また、各地区や各避難所で、自主避難の方々のお世話や、いざと言う時の防備に待機をしています。 本当に、消防団の方々の自分の危険も顧みず、非常時の、市民の生命と財産を守る姿勢には、いつも感謝と感動をします。そして、このような大災害の予想されるときには、市もいろいろな警報が出されるたびに対策本部を設置し、災害に備えています。今回は床下浸水やがけ崩れ、道路冠水や建物被害が一部ありましたが、人命の喪失にいたる被害はなく、憮然とした面持ちではありますが、やや安堵をしたところです。
 ここ志摩市は、このような台風被害や、高潮被害の予想に加え、東海地震、南海地震、東南海地震と共に津波の発生が近未来に想定されているだけに、行政も減災、防災に消防団のお力も借りながら努力いたしますが、市民お一人おひとりにおかれても、防災訓練への参加や、防災意識の高揚、防災知識の向上にご努力をいただくようお願いしたいと思います。市民、自治会、議会、行政の防災に対しての役割分担と、それぞれの責務をもう一度見つめ直していただければと思います。









会話と思い

2009年10月1日

 市長として市政を担当させていただく事になりましてから、この31日で満1年を迎える事になりました。
 この間、いろいろなところで、政治的な見解を求められたり、市政運営への思いやお話をする機会を、たくさん持たせていただきました。
 その会話の内容や思いの一端は、その場に居合わせた方や、めぐり合わせた方々の心に残ったり、一部は活字にもしていただきました。
 そんな中で、自分で納得して、自分が文書に表す場合はいいのですが、自分以外の方に書かかれたり話されることで思うことがあります。
 それは、大きな話でも小さな話でも、いかに会話が楽しくも、また難しいものかということです。共通する話題や、同じことを語ったつもりでも、自分自身の問題意識の認識度にもよったり関係しますが、聞く人の問題意識のもち方や思い込みで、すぐ理解していただいたり、微妙なところで真意が伝わらなかったり誤解を招くことが往々にしてあります。
 そしてそんな事がたまたま活字に成りますと、ある事に対しての反対、賛成、いまだ不明、中立があり、沢山会話を交わし事の賛否、検討について理解をいただいたつもりでも、紙面の関係とか聞かれた方の思いと捕らえ方で賛否の部分だけで乗せていただくことがあり、結果的にその中で大多数の方々に賛成や賞賛または、反対や大きな批判をいただくことがあります。
  そんな時、「ああわかっていただいてよかった」と、安堵したり、罵声をいただいたときには、いまだ語り尽くせずの感で反省と残念の思いをすることがあります。もちろん話し方がまずいのだと言われればそうなので、改めて話をする前には、話の対象をしっかりと把握した上で、言葉や単語の選び方、話し方に心づかいをいたす様、話し方にさらなる修練を積まなければと切に思いました。
 1年目の折り返しにあたり、志摩市民の皆様の福祉増高を基点として、今後とも有意義な会話の積み上げを皆様と共に重ねていき、住んで良かった、訪れてよかったの志摩市づくりに邁進したいと思っています。







日本に生まれて

2009年9月1日

  ごみ捨てルールの無視や、ポイ捨てなど、日本人のモラルがいろいろと言われている中、ある外国人が書いた 日本の文化論と日本人論を読んでいたら、日本文化を賛辞する中、その国の、バス運転手のコメントが載っていました。「イタリア人やスペイン人を十人乗せるより、日本人を四十人乗せたほうが、後の掃除がぜんぜん楽だよ。日本人は礼儀正しいし、しつけがきちんとしているからね。われわれが日本から学ぶべき事のひとつだと思うよ。」と、そしてその後に、その国の町のブティックやレストランの店員からも似たような話を、よく聞くと書かれていました。
 この後に、作者の文化比較論が展開されるのですが、こんな事を聞かされると、一日本人として妙に納得もし、多いに自信もわいてきます。
 今、町を歩くと、ごみ捨てマナーの悪への入り口とも言うポイ捨てが、あちこちで見受けられ、菜食主義のベジタリアンならぬ地べたに尻のジベタリアンが目立ち、世の大人たちのヒンシュクをかっています。 しかし、こんな彼らが意外と外国とか公的な施設へ行ったとき、この本に、書かれているように整然とマナーよく行動するのは、私たち自身もよく経験することです。
 いずれにせよ、私たちはもはや、欧米を真似たりうらやむのではなく、この本の作者も言うように、私たち一人ひとりの血にしみこんだ、大地に感謝し大地を汚さない、このようなすてきな風習や、一木一草にも命を感じる日本人らしさ、私たちのこの文化をもう一度しっかりと意識して、私たちが育てた自然に感謝し、自然を敬う心や、侘びや寂をはじめとした天地をいつくしむ心、他人にやさしく親に孝という心を見つめなおし、素晴らしい私たちの文化をメンタリティを世界に知らしめていくべきだと思います。
 そして私自身も『看脚下』、自分の足元から環境に心配りをしていきたいと思います。
※看(かん)脚下(きゃっか)・・自分の足元を直しながら、生き方を深く反省すること











じゃこっぺ市

2009年8月1日

  近ごろ子どもたちの健全な成長と健康のために、食べることの知識やその取り方など様々な経験を通して学んだり、あるいは、多彩な食の中から食べ物と食べ方を選ぶ力を習得することによって、健全な食生活をおくれる人間を育てて行こうと『食育(しょくいく)』がうたわれています。
  また季節知らずの野菜とか手軽に買える外国産の食品について、食卓にあがるまでの流通過程を地球環境、国民経済で考えたとき、本当にそれでいいのだろうかと言われるようになってきました。その安全性はもとより、地元産でないものを消費するのが地元にとって本当に有利なのだろうかと言うことから始まって、改めて健康のため、また地域のためには地域で生産したものを地域で消費するという『地産池消』が、今さらに注目されています。これらを踏まえ、稼ぐお手伝いのできるまちづくりに沿って実行させていただいたものが、今回の「海ほおずき」での朝市です。
 この朝市では、新鮮で安心安全な市内の農産物、水産物、またそれ以外の売りたいものを売れるシステムです。また出店したい人が気軽に参加でき、また状況が変われば気兼ねなくテントから出られるという気楽な形で、出店者を募集しています。 加えて願いは大きく、私はこの朝市を地場産業の振興と地域経済の活性化につなげつつ、市民の賑わいの場、癒しの場として位置づけていきたいと考えております。 地元の人たちに大いに利用していただき、遊びの要素も加味させ、先々には観光拠点として、市外からも注目されるような朝市にして、観光入り込み客数の増加なども考えていきたいと思っています。 運営は住民グループ、団体などで行っていただき、無理せず、小さく産んで大きく育てる心持ちで、始めは簡素で小規模な朝市としてスタートし、市民の方々に育てていただきながら、人的・組織的・経済的にも、次の世代に継続的にできるシステムが整ってから、将来的には観光バスなども入れられるような朝市を目指し、地域の活性化をはかっていきたいと考えております。 8月の土曜・日曜に「海ほおずき」で開催しますので、みなさまにはぜひ一度お立ち寄りをいただければ有り難いです。










水 泳

2009年7月1日

 観光志摩にとって、楽しい中にも忙しい夏がやってきました。 私の子どものころ、夏の遊びといえば海で泳ぐことでした。
  でも泳ぐというよりは岩場での貝採りや、小魚採りの磯遊びでした。 当時は1学年120人も同級生がいましたが、仲間の大半が夏の一日を海辺の岩場や砂浜で、磯もの採りや海水にひたりながら遊んだものです。漁業が今より賑わっていて、海の近くには、漁師さんや海女さんが沢山いて、当たり前に子どもたちを見守ってくれていました。
 小学生になると海になじみ、高学年になるころには海に慣れ遊びの技術として、なんとなく泳ぎを覚えていったものです。
 でも今は、自然の中で仲間と、もまれながら、意識されない地域の見守りの中で、いつの間にかに泳ぎを覚えた経験を持つ子どもは少なく、私が遊んだそんな40年以前の環境も消え、泳ぐためにはプールなどで、先生の指導のもと、安全に正しく学ぶと言うのが今のあり方です。
 もちろんこれは絶対に正しいことで、水での安全にもきちんと心配りがされています。 でもこれほど海に囲まれながらも、子どもたちが海から離れていくように見えるこのごろ、豊富な自然に恵まれながら、自然に親しむ機会の減った子どもたち。遊び方も屋内主流となり、遊びそのものが変化し、泳ぎひとつ覚えるにも様変わりした現代。 暮らしよさと便利性が謳歌される今の地域住環境はともかくとして、何をしたら、どんなことをしたらと、何が地域の子供たちにとって本当に幸せなのだろうかと考えることが多くなりました。
 子どもの絶対数が減っていく少子化の中で、子どもの健全育成や、将来にわたって安心で安定な教育行政サービスを提供し、未来へつなぐために、子どもたちの社会性を適正規模の生徒数で学んでいただく、地域での教育力の密度を高めるための学校再編成、今の子どもたちの環境とこれからの志摩市の変化も見つめながら、求められる行政サービスの提供について深く考えさせられました。










緑のアーケード

2009年6月1日

 仕事柄よく伊勢道路を利用します。梅雨から夏に向かうこの時期、車でここを駆けると、この道路沿いに自生する桜や藤など、力強い幾多の木々が、葉音も健やかに、さわやかな新緑と濃緑を身にまとい、強い太陽から赤子を守る母親のように枝を重ね、ゆらぐ光で走る車をやさしく包み込みこんでくれます。まさにその様子は緑のアーケードさながらで、明るく輝く長い緑のトンネルに入ったような錯覚を覚えます。
 少し見上げればこずえの向こうには、きーんとした、透き通る青い空と柔らかな白い雲が見え、その自然の織り成す美しさに思わず心が弾み、笑みがこぼれてきます。しかし一旦道路に目を落とすと、路肩とかがけ沿いに、多くの空き缶やごみがそこかしこに散見され、その不条理に少し暗く、憂鬱になります。季節はこれからうまし国志摩市の、観光の季節、盛夏に移っていきます。
 そんな中、この志摩市を訪れるお客様が豊かな自然に感動し、志摩の風と光に心をいやされ、人情に感嘆し、味わい深い豊な食に舌鼓を打ち、感動の思い出を志摩でつむぎ、毎年、志摩を訪れるゆるぎないリピータとなっていただき、共にこの地域の元気に力おしをいただくために、私達は今ある人情と心優しさはもとよりですが、清潔感にあふれた道路等をはじめとした豊かな景観を提供する必要があります。
 拡大の可能性をいっぱい秘めた観光産業のさらなる進展を望み、共に生きるためには、この様なポイ捨て被害の現状に私達もことさら関心を持ち、まず観光地に住む私達自身から身を律して、ポイ捨てを一掃しなくてはいけません。もう一度、市政進展、またこれからも発展を続けていくそれぞれのご家庭や、志摩市のためにも、ごみの分別の徹底、ポイ捨ての一掃に、ご協力とご尽力をお願いします。











鯉のぼり

2009年5月1日

 目には青葉が映り、新緑と海の香、清々しい志摩の五月。英虞湾と的矢湾をめぐる風もさわやかに、子どもの日がやってきました。 家々にかけられた鯉のぼりは、子どもたちの健やかな成長を願う親の愛情を映し出すように、元気に青空を泳ぎ、その家の子どものほほえみと家族の楽しい笑い声が聞こえてきそうです。
 節句には、なぜ鯉のぼりなんだろうと調べてみると、中国の故事に、中国の霊山に竜門と言う滝があり、その激しく流れ落ちる滝を一匹の鯉が一所懸命に泳ぎ登り、登ぼりきったとき、まさにその刹那、鯉の体は金鱗、銀鱗をまぶしく輝かせながら龍へと変身し、悠々と天に昇っていったと言う、ドラマチックな話が基にあり、そしてその急峻な滝を登ぼりきった鯉には特別の力が宿り、力強く賢い龍になると言う、話からきているそうです。
 そして、それから中国では龍はめでたい生き物として時の天子になぞられたり、装飾に珍重されたということです。またインドでは、龍は法を守る想像の動物として位置付けられています。そんなことから、子どもの産まれた家ではその子の豊かな成長と大成を祈り、人生の中で困難に力強く立ち向かい、この鯉のように健康頑健で、やがては成功をおさめ、龍となってその身に繁栄を築くようにとの願いから、鯉のぼりを立てるようになったと言うことです。そしてまたこの鯉のぼりを揚げる風習は江戸時代から始まったと伝えられています。
 今、志摩市をとりまく環境は、世界的な不況の影響で、以前にもまして厳しくなってきております。 私たちも、現在のこの不況という激しい流れに立ち向かい、この鯉のごとく龍と成るべく、市民・議会・行政が三位一体となって、オープンな話し合いを軸に真摯な協働のもと、今の厳しい経済環境という滝を泳ぎきり、志摩市再起動をはたしたいと思います。












地域深学そして創造

2009年4月1日

 標題の言葉は、市で活躍している志摩青年会議所で、私が二代目理事長として、1990年に就任した時、基本理念として掲げた活動テーマです。 当時、私たちは、志摩でいろいろな事業とか奉仕活動を行っていました。それらを通じて、わかった事は、志摩をさらに活性化させるには、まず自分たちの地域をよく知り、理解することが大切であるという事でした。自分たちの地域を知らずしては、何も活動の目的が定まらず、持続的に活性化が図れないからです。そのためには地域の現在の状況だけでなく、これまでの過去の在り方を、よく調べ理解することが大切で、そうすることで今抱えている問題のキーポイントがよく見えてきます。そうなった時に初めて、その問題解決にはどうするべきなのか、何を始めたらいいのかわかるのです。そしてそこからまちづくり、活性化への創造が始まるのです。 19年前のこの時から、このテーマは私の生き方、政治姿勢として、私の人生に定着しています。 市長として、観光の活性化と観光の事業拡大を図るには、これまでの市民の皆さまの取り組みも大切にすると同時に、地域のことを誇りに思い、豊かに語れてこそ、より効果的に観光事業が進むと思い、担当職員に、改めて自分たちのまちの過去つまり志摩5町の町史を読破するように指示しました。それにあたっては、観光業者の方々や女将さんが、自分の町をこえて5町の、これまで以上に志摩の歴史、風土、伝統、昔話、産業などに精通していただき、訪れた観光客に市への語りを少しでも増やしていただけないかと希望します。これこそがグリーンツーリズムの真髄だと思うからです。『地域深学そして創造』は、これまでにもある問題解決の方法の一つに、自分なりに造語をしたものですが、これは、地域の活性化にとどまらず、個人的にも、何か困難が生じたときや困難を克服して前進を求めるときなどに、とても役立っています。なぜなら、現在を分析し直し、過去をじっくり見つめ直すことで、現在の障害と原因がはっきりと見え、そこから行動として何をなすべきか具体策と方向が見えるからです。これまでの問題解決の方法にこの私の『地域深学そして創造』を加味した方法により、これからもいろんな角度から地域おこしを図りたいと思います。









昔ばなし

2009年3月1日

 テレビでは連日、いろんなアニメが放送されています。そして心やさしい話や冒険ものありで、多彩に私たちを楽しませてくれます。 
 一方で、子どもたちが好んで観るのは、その多くが戦いの物語です。その決着は、単に残酷な暴力という戦いで結論をみることが多いです。 空想社会の中だけではなく、現実社会のなかにも、それは存在しています。戦争は繰り返され、テロや紛争、暴力事件など、現実に人間の命や財産、安定した生活がうばわれる痛ましい事件が後を絶ちません。これらの悲惨で痛ましい報道が常時されています。そして、情報化社会の中で、多くの情報が子どもたちに届けられています。子どもたちがこれを見て、暴力で勝つ者だけが正義だといった空想が現実の中で混在してしまうと少し怖いものがあります。
 皆が心安らかな生活を築き、楽しむには、話し合いや議論で、互いの気配りや思いやり、相手を脅かさないしきたりを学びあうのが大切です。そういう意味で、どんな物語を読むも聞くのも自由なのですが、情報が氾濫する世の中で、ただただ流されるものを受け入れてしまうのではなく、最適なものを選ぶという判断が必要となっています。思いやりにあふれ、子どもたちに地域を支えるすべを知ってもらう事が大切です。地元をよく知り、郷土愛を深くもつ事が、国県はもとより市の進展に大事です。そこで私は、あらためて市民の皆様に、志摩市に語り継がれる昔話を子どもたちに読んでいただき、郷土を思い、自分たちのまちの成り立ち、昔の文化、これまでのまちの歩み等々を知ってほしいと思います。『浜島の久須ひめものがたり』『大王の堂の山の夜泣き松』『初音姫のものがたり』『磯部の手力男命の手形石、阿児の横山の八大竜王』『大倉島の竜宮』『志摩の豊玉姫ものがたり』『ガンガン井戸と馬乗り石』など、この市にはたくさんの昔話があります。温故知新と昔からいいます。心を古(いにしえ)に飛ばし、昔話の中の生活、優しさ思いやりを読み込み、今を見つめてほしいと思います。










梅とうさぎ

2009年2月1日

 可憐で清楚な梅の花が咲く季節になりました。梅で思い出すのは、合併前に志摩町で、梅の苗木を植えていただいた時のエピソードです。
 農作業をしなくなった耕作放棄地や荒地が随所に見られることから、そこへ南高梅を植えて、景観の保持と農地の保全を図るため、1100本の梅の苗木を植えていただきました。
 植栽後しばらくして、現場を見に行くと、苗木の周りに幾重にも垣がありました。実も成らぬうちに、なぜだろう?と不思議になり、様子を聞いたところ、なんと灰色がかった野うさぎが、たくさん現われて、夜のうちに梅の新芽を食べてしまうとのことでした。
 うさぎがこの狭い志摩半島にもたくさんいたことに驚くと同時に、自然界の懐の深さと生物の多様性に感心をしました。
 そのように始まった南高梅の栽培ですが今では、年間およそ3,500キログラムもの収穫があり、そのうち2,000キログラムを販売しているようです。
 今年は、昨年以上の収穫が見込まれており、いくらかでもの収入の増につながるということは、市民の利益ということで大変ありがたいと思います。
 今回は野うさぎのエピソードを紹介しましたが、梅の新芽を食べてしまう野うさぎだけでなく、以前は、志摩ではまれにしか見なかった猪も、民家の多い街の中でも現れるようになり、一部で農作物に害を及ぼしています。
 梅林の美しさを堪能するときには、楽しみながらも、獣害による被害、駆除への対応の中における自然界と人間との関係についても、ちょっと考えていただければと思います。













う し

2009年1月1日

 健やかで、希望に満ちた『うし年』がスタートしました。『うし』と聞かれたら、皆さまはどんなことを思い浮かべますか。
その姿かたちから、やさしそう、大きな動物、おもしろい白と黒のまだら模様と見たりしますね。また食欲では、うまそう、高級肉(!)とか、ことわざでは「牛の一徹」「牛の籠ぬけ」「牛に乗って牛をたずねる」と色々思い浮かべられる事と思います。
私は『うし』というとナンディヴィサーラ(ナンディ)のお話を思い起こします。
 お釈迦様が前世でナンディという名の牛であった時に、ある人に息子同様に大切に育てられ、そのご恩返しにと、自信のある体力で、賞金の大きい荷物運び競争に出ました。
ところが、試合スタートのとき、その人は、「それ引け根性なし、根性なし走れ」と叫んだのです。
これまで大切にされ、汚い言葉など聞いたことのなかったナンディは怒りで体が動かなくなり、その人に大損をさせました。
ナンディは、「これまで私はあなたに何のさからいもなく、貴方のしつけに従ったのに」と訴えました。その人は反省し、次の競争でのスタートの時、やさしい言葉をかけると、ナンディは実力どおりに走り、多くの賞金で恩返しをしました。
この話の後、お釈迦様は弟子達に「快い言葉こそ語りなさい、不快な言葉は決して語ってはならない実に、快い言葉を語る人のために牛さえも重荷を運び、財貨をもたらす、しかし、それによって(快い言葉)人々は、幸福な者となる」の詩を作ったという話です。このようなお話は、読んで楽しいし、感心させられますね。
 今年の志摩市発展のために、私も市民に優しく快い行政を心がけて精進していこうと思います。
 優しい言葉と笑顔あふれる志摩市となりますように。