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過去のコラム(※旧志摩町長時代に広報志摩に掲載したものです。) 2002年
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2月 一陽来復 この一陽来復という言葉は冬至の別の呼び方です。 ご存知のようにこの日は、夜と昼の部分がきわまり、この冬至をさかいにそれからは次第に 昼の部分、明るい方が増してきます。 そこで、これは夜(陰)のところが次第に少なくなり明るい昼(陽)のところが増してくるのでで、 家運、人生の運気上昇になぞらえて、昔、一部の地域では神仏にお供えをして、冬至の事 を一陽来復とか一陽嘉節と呼び、めでたい日としてお祝いをしたそうです。 それから転じて、現在でも年賀とか心機一転を画した揮毫とか俳句歌壇に使われて います。 そこで私も、何とか今の全国的な不況を受けた町の地場産業の低迷等、きびしい諸状況 からの脱却そして今後への希望を託して、今年の年賀状に、春風再来そして一陽来復と言 う文言を添えさせていただきました。 そしてそんな思いの中、先月ある新年会でのことですが、そこのお膳に添えられていた 箸筒と言うのか箸袋に、目にも鮮やかな朱でこの一陽来復がかかれてあり、そこの女将 さんのお客様と町への、さりげないけれどもあたたかいこころいきを感じさせていただき、 嬉しくなりました。 本当に毎回の事ですが、街づくりは皆様一人一人の参加が基本です。今年はこの言葉と 皆様の顔を胸に頑張っていきたいと思っていますので、皆様の自助努力をお願いしますと 共に、忌憚のない提言相談とご支援を町行政におねがいいたします。 3月 問題提起 今志摩町では、この一月に、県から合併重点支援地域の指定を受けたことにより、合併 問題の論議がにわかに活発になってきました。 先月も各地区で合併問題についての説明会をひらき、地区別の内会長会議でも同様に、 今なぜ合併なのかの問題提議と現在まで知りえた事柄をお話させていただきました。 その中で、項目別に説明として、一番にこれまでの合併の歴史、明治、昭和の大合併、 そして平成の合併論議までの歴史について話しをし、二番目には、経済面からの説明とし て、バブル経済崩壊後とデフレ等に伴う産業の低迷等、それを受けての国・地方の公債増 等による行財政落ち込みの事情と、その解決策を求めて国上げての行財政効率化への 模索、そして少子高齢化の進展による現役世代減に伴う地方の今後の事情について話しを し、三番目には地方分権の流れと地域の自立について説明をさせていただき、また四番目 には戦後から今日に至るまでの国あげての経済活動の結果、飛躍的な生活資源の増進と 同時に道路などの施設整備等の進展にともない国民の活動範囲の拡大が現れ、住民活動 が変化している、それなのに行政区域は今までどおりでいいのかと言った、行政のかかわり 方とこれからの課題について語ったり、その他いろいろと説明させていただきました。 そしてお話の最後にこの合併問題は住民皆様ご自身の足元が変化する大変重要な事柄 をたくさん含んでいるので、行政・議会任せではなく、住民・議会・行政が三位一体となって 取り組むぺき大変重要で重い問題であります。ですから、皆様ご自身の問題としてご論議 いただきますようお願いして会を閉じました。 以上今回は詳しい説明ではなく、説明の項目だけを書かせていただきましたが、住民の皆様 には、今後志摩広報での合併ニュースとかこれから開かれる合併問題の講演会、シンポジュ ームなどには是非積極的にご参加いただきこの問題の掘り下げをお願いしましとともに、さら にご自身足元の事として、お話をしたり考えていただきますようお願いいたします。 5月 鯉のぼり
青葉もさわやかに風もすがすがしい五月、子供の日が又やってきました。 青い空の鯉のぼりは、見ていて本当に楽しく、その家の子供のほほえみと楽しい笑い声が 聞こえてきそうです。 節句になぜ鯉のぼりなのか事典をひもとくと、なかなかロマンチックで、昔々中国の霊山 に竜門と言う滝があり、その急な滝を登ぼりきった鯉には特別の力が宿り、たくましい龍に なると言われていました。 それはある時、激しく流れ落ちる滝を一匹の鯉が一所懸命に泳ぎ登り、登ぼりきったとき、 まさにその時、鯉の体は金鱗、銀鱗をまぶしく輝かせながら龍へと変身し、悠々と天に昇っ ていったと言う故事からきているそうです。 そして龍は、インドでは法を守る想像の動物として、また中国ではめでたい動物として時 の天子になぞられたようです。 そんなことから、子供の生まれた家ではその子の豊かな成長と大成を祈り、人生の中で も困難に立ち向かい、この鯉のようにやがては成功をおさめ繁栄を築くようにとの願いから、 鯉のぼりを立てるようになったと言うことです。それとこの風習は江戸時代から始まった そうです。 本当に今は、志摩町をとりまく環境が以前にまして厳しくなってきております。 私たちもこの鯉のように、住民・議会・行政が三位一体となって真摯に懸命に協力して、 今の厳しい経済環境という滝を泳ぎきりたいと思います。 6月 梅雨
日本ほど四季がはっきりしていて、春、夏、秋、冬、それぞれの季節をメリハリよく楽しむ 事のできる国は世界でも有数だそうです。 そして、この豊饒でゆたかな日本の自然を創り出す要因のひとつに、この梅雨が関係し ているとの事です。 急峻な地形と水足の速い河を持つわが国では、保水の難から、水不足の傾向に、おちい りやすいのに、何故かそれをおぎない、命をあがない、米を育て、作物をはぐくみ、ときには 発電を始めるにあまりある、自然の恵みとしての水があふれています。 そしてその水を日本にもたらす者の代表は、秋の台風、冬の雪、そしてこの季節の長雨 であると言われています。 一見じとじととうとましい梅雨、冬の寒さを助長する雪、ときとして災害をもたらす台風で さえ、水としてとらえれば、日本の豊かな自然の形成をささえ、今の私たちの生活を維持し、 社会を形作るのには欠かせないものです。 この季節の長雨は、洗濯物の乾きとか、かびなど、いろいろと物議をかもし出しますが。 水と梅雨、先ほどまでのことを考えるなら、梅雨のきらいな方には、叱られるかも知れま せんが、今月は、少し詩人になって、梅雨を楽しんでみたいと思います。 7月
心頭滅却火亦涼(しんとうめきゃくひもまたすずし)
夏が来ると思い出す言葉に「心頭を滅却すれば火も又涼し」があります。 若い世代の方にはなじみのない言葉ですが、中高年の方には聞き覚えがある有名な詩 です。 これは昔、唐にあった悟空上人のお寺に杜荀鶴(とじゅんかく)という人が書いた詩で、夏暑 くても心の持ち方で涼しい気持ちになれると言う意味の詩句です。 全文は「三伏門(さんぷくもん)を閉ざして一衲(いちのう)を披(き)る、兼ねて松竹の房廊 (ぼうろう)を蔭(おお)う無し、安禅(あんぜん)は必ずしも山水を須(もち)いず、心頭を滅却すれ ば火もまた涼し」です。 三伏とは、今で言えば七月下旬から八月中ごろまでの夏の一番暑いときを言い。 その暑いときに服を着て、しかも周りには涼しさを求めての、影となる一本の木もないけれ ど、安らかな禅の境地に立つことができれば、涼を得るのに必ずしも山の影や水にかこまれ る必要はない、心の雑念を消去すれば、燃える火の中にあっても涼しさを感じれると言う 意味です。 ひるがえって現代に当てはめれば、生活のいたるところでいろんな思いをかかえながら、 また大量消費と言われる中で生活に必要な以上の購買欲望にさらされたりの、渇望という 心の暑さににかこまれ、求めても求めても求めきれない、買っても買っても買いきれない 切迫感や無力感が、ここで言う心の雑念かもしれません。何とかこの上人様みたいに物心 ともにたくさんの雑念から離れて、爽やかな心の涼風にふかれてみたいものです。 8月 水泳
夏本番、水が恋しく、子供たちが海にプールに健康な声を上げながら遊ぶ季節が始まり ました。 そんな中、先日ある若いお母さんから、水を楽しみ、水泳を教えるプールについてのお尋ね があり、いろいろと考えさせられることがありました。 それは内に英虞湾、外に太平洋を擁する私たちの町、志摩の子供たちの、昔と今の夏の 遊びと過ごし方と、それに関連する町の諸課題についてです。 私たちの年代が子供のころには、夏の遊びと言えば、自室で遊べる機器も野球ゲーム盤 くらいしかなく、ましてや涼を取るためのクーラーなんてものはどの家にも無く、涼しさ求めと 湧き上がる体力を昇華するため、山でとんぼをとったりの山遊びや、もっぱらは海で泳ぐこと だけでした。 また私の小学生時代には子供も一学年150人もいて、いくつかの子供集団が、地区ごと に、学年の上下に関係なく自然にでき、その中で一緒に遊びもまれ、先輩の後をついている うちに、いろいろな遊びを教わったり、海辺の子としていつの間にか泳ぐことができていく、そ んな時代でした。 ところが今は、自然にと言うか、そんな集団でもまれることも少なく、いつの間にかに泳げる ようになる子供は少なく、泳ぐためには泳ぎ方等についても先生の指導の下、B&Gの施設で 正しく学ぶと言うのが普通のあり方として定着しています。もちろんこれは正しいことで、安全 にもきちんと心配りがされています。 そんな、遊びの中で泳ぎをおぼえた海からの遊離が散見されるこのごろ、泳ぎをおぼえる プール、水に親しむプールと環境が変化する中、自然が豊富にありながらも、子供たちの 屋外遊びも減少し、住環境も整備され、遊びも、遊び方も変わり、こんな風に泳ぎひとつでも 様変わりしている現代。 暮らしよさと便利性が謳歌される今の経済環境はともかくとして、何が、どんなことの提供 が、地域の子供たちにとって幸せなのだろうかと、子供の絶対数が減少していく少子高齢化 の世の中で、また将来にわたって安心で安定な行政サービスを未来にもつなげていくための 市町村合併問題、そして地域での教育力の密度を高めるためのわが町の教育委員会の2 課制への移行、学校再編成問題等々もからみ、ここ40年の町の変化も見つめながら、改め て深く行政サービスの提供について考えさせられました。 9月 私たちの事 日本人のモラルがいろいろと言われている中、外国から見た、ある日本人論を読んでいた ら、日本文化を賛辞しながらこんなバス運転手の話がのっていました。 「イタリア人やスペイン人を十人乗せるより、日本人を四十人乗せたほうが、後の掃除がぜ んぜん楽だよ。日本人は礼儀正しいし、しつけがきちんとしているからね。われわれが日本 から学ぶべきことのひとつだと思うよ。」と、そしてその後に、その外国の町のブティックやレ ストランの店員からも似たような話を、よく聞くと書かれてありました。 この後、作者の文化比較論が展開されるのですが、こんな事を聞かされると、一日本人と して妙に納得もし、多いに自信もわいてきます。 いま町を歩くと、ごみ捨てマナーの悪さの入り口とも言うポイ捨てが、少なからず見うけられ ますし、菜食主義のベジタリアンならず地べたに尻のジベタリアンが目立ち、世の大人たちの ひんしゅくをかっていますが、外国とか公的な施設へいったとき、こんな彼らが意外と、この本 | ||||||||||